絵葉書美術館
私の手元には、残りの人生では到底使いきれない程の絵葉書がある。その時々の展覧会で良いなと感じた絵の記録として購入したり、誰かに便りを出すために買ったり。そんな絵を見て感じたことを気ままに綴る「絵葉書美術館」、ここに開館です。
Vol.10 ルーシー・リー『Blue glazed bowl (detail)』
ちょっと見てみようという気持ちだった。器とは、手にとって、感触と目で慈しんでこそのものだと思っていた。美術館のショーケースの中に飾られた器を観て、何か感じられるものか…と。
展示室に入り、ルーシーの器を観て一目でその考えは覆された。ショーケースの中の器を、いつまでも眺めていたいような、癒されるような気持ちが湧き上がってきた。とても不思議な感覚だった。
私が映像で観たルーシーは、いつも上下白い服を着て作陶していた。汚れるだろうにあえて白い服を制服のように着て働く姿が、キリリと潔く映った。小柄なルーシーは、電気窯の底まで手が届かず、窯の縁にくの字に倒れ込み、お腹で身体を支えて作品の出し入れをしていたという。鉄棒の前回りの途中のような姿が、おてんばな少女みたいだと思った。
ルーシーは1902年、ウィーンのユダヤ人家庭に産まれる。19世紀末から20世紀初頭のウィーンは、芸術や化学が花咲く都であった。父親が開業医で裕福な事もあり、ウィーン工房で制作されたモダンなデザインの家具や工芸品に囲まれて育った。10代の時に新進の物理学者と出会い、新しい物理学の展開に強い関心を寄せた。その後ルーシーの人生にはずっと物理学が大きな影響を与え続けた。
20歳でウィーン工業美術学校に入学。陶芸科で偶然目にした、回転する轆轤の上で土がみるみる器になっていく様子を見て魅了され、すぐさま陶芸家を目指す事を決める。そこで素材と技法の知識を大いに学んだ。ルーシーは、釉薬の調子や器の質感よりも、素地の薄さや硬質なフォルムを追求する独自の道を進んだ。いくつかの展覧会で賞を受賞し、ウィーンでの実績を積んでいった。しかしウィーンにも戦争の影が近づき、1938年、ナチスによるオーストリア侵攻を機にロンドンへの亡命を余儀なくされる。
ルーシーは、ロンドンで小さな自宅兼工房を見つけ、93歳で亡くなるまでそこで作陶をし過ごした。イギリスでは、日本の民芸運動の柳宗悦らとも交流があった、バーナード・リーチが活躍していた。(民芸運動とは、手仕事によって生み出された日常づかいの雑器に、美を見出そうとする運動である。)そのため東洋のどっしりとした無骨な器に影響を受けていたリーチから、ルーシーの作品はその基準に合わないという理由で評価されなかった。
そんな中、戦争の影響で器の制作は中断せざるをえなくなり、陶製のボタンを作る事で生計を立てるようになる。多様なデザインと色のバリエーションのあるルーシーのボタンは人気があり、戦争が終わっても需要があった。その手伝いにハンス・コパーという青年がやってくる。コパーはドイツ出身のユダヤ人の血を引く青年で、同じくロンドンに亡命していた。のちに共同制作の作品を作ったり、二人展を開いたりと、ルーシーにとって大きな存在となる。コパーの理解と激励があり、ルーシーは迷いを捨て、本来の自分が作りたい器の追求を始める。ちなみにデザイナーの三宅一生がルーシーのボタンを使って服を制作し、2人が10年来の親友だった事も有名な話である。
ルーシーは作陶する際に電気窯を使う。電気窯は高温焼成が可能で、素焼きをせずに一回の焼成しか行わないという、彼女の最も特徴的な作陶を可能とした(通常は一回素焼きをし、その後に釉薬を施し、もう一度焼く)。燃料で炊く窯のように、炎の偶然性に左右されにくいという利点もあり、釉薬の研究や実験を繰り返しながらフォルムや色を追求したルーシーは、かなりのところまで計算して器を作っていたらしい。
その一つに象嵌(ぞうがん)がある。素地を線彫りして、その溝に違う色の土や釉薬を埋め込むという技法だ。直線によるシンプルな構成だが、時に象嵌部分の釉薬が滲み器の肌に溶け込んで、ほのかな温かみを与えている。ルーシーの釉薬ノートには、膨大な量の実験結果が書かれていた(ノートは暗号のようになっており、簡単には他人が理解出来ないように書かれていた)。ルーシーの器を観て癒されるように感じていたが、それらは全て、物理学の知識も持っていたルーシーの計算の産物だったらしい。
恐ろしい人!!と思わず言いたくなってしまった。
国立新美術館「ルーシー・リー展」(2010.4.28〜6.21開催)
▷HP
郡山市美術館「ルーシー・リー展」(2016.1.16〜3.21開催)
▷HP
記事を書いた人
黒須 若葉
CAFE MUGI 調理
宮城県角田市生まれ。これまで、数店舗の飲食店に勤務。社会人になり初めて働いたレストランで接客の楽しさを知り、自分なりのサービスを考えるようになる。飲食店は美味しい物だけでなく、接客でもお客さまに喜んでもらえることを実感し、そこに力を入れて働いてきた。また、人と人を繋ぐ役割も担える事を知り、できる限り良い縁を結べるように努めることもこの仕事の楽しさの一つだと思っている。現在はCAFE mugiでカフェ業務全般を担当。好きなものは、美味しいもの、本、絵。普段は本を読みながらのんびりしたり、お昼寝をしたり。観たい絵があれば日本中、ときには世界を移動して会いに行く。
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