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Vol.4 川上 謙さん(建築家)/前編|読みもの|それいけイチトニ編集室

Vol.4 川上 謙さん(建築家)/前編

2021.10.29

一歩目二歩目

読みもの

『1歩目、2歩目の足跡』

 

さまざまな分野で活躍している大人たち。きっと一直線にまっすぐに、歩いて来た人ばかりではないはず。どうしてこの道に足を踏み入れたのか。どんな道のりを歩いて来たのか。これまでどんなきっかけや、出会いがあったのか。ふだんは中々聞けない、そんな「1歩目」「2歩目」のお話を聞いてみる企画です。

 

 

 

Vol.4 川上 謙さん(建築家)/前編

 

建築家の川上さんは、仙台や東北を拠点に主にマンションや戸建ての住宅や店舗のリノベーション設計をされています。建築の仕事に就くまで、そしてこれまで東北にリノベーションを普及させるまで、どんな道を歩まれてきたのでしょうか。その道にはこれまでどんなきっかけや、出会いがあったのでしょうか。そんな建築家としての1歩目、2歩目について、お話を聞いてみました。前編では学生時代の学びや活動、建築家を目指すきっかけについて。

 

 

美術教師のある一言

 

―まずお聞きしたいのですが、川上さんは小さい頃から建築家を目指していたんですか?

 

いや、思っていなかったですね。特にものづくりをやりたいとも思ってもなかったし、本当に小さい頃は戦隊ヒーローになりたいって思っていました(笑)。小学生になってもアニメ『ドラゴンボール』の孫悟空や、『幽☆遊☆白書』の浦飯幽助に憧れて強くありたいと思っていたこともありました。鍛えれば本当にかめはめ波撃てると思ってましたからね(笑)。

 

―では川上さんご自身で振り返ってみて、いちばん初めのきっかけって何だと思いますか?

 

今振り返ってみると、高校の美術の先生が褒めてくれたことがきっかけかもしれないです。中学生の頃は、ある程度勉強ができるようになって楽しくて、大体全部の教科が好きでした。でも高校に行ってだんだん勉強についていけなくなってきたら、好きな教科がなくなって(笑)。でも唯一美術の先生が「君、本当にセンスあるね」って、すごく褒めてくれたんですよ。お世辞だったのかもしれないですが、 絵を描いたり粘土をこねたり彫刻に取り組んでいる時間は本当に楽しかったし、苦と思った事はなくて、真面目に取り組めるほど楽しかったのかもしれないですね。それもあって、当時は東京の美術大学への進学も考えていました。

 

―きっとその頃から、ものづくりのセンスが光っていたんですね!美術大学が進路の選択肢に入ってきたということは、将来は美術系の仕事に就きたいとすでに考えていたんでしょうか。

 

将来のことや就きたい仕事を考えていたわけではないですが、大学に進学するなら好きなことを続けたいと思ったので、美術大学が視野に入ってきました。ただ、通っていた高校が普通の進学校だったので、 周りのみんなが一般科目を勉強をして大学進学を目指している中で、専門で学ばなければならない美術大学を目指すっていうのは中々難しいのかなと思い、その時一度は諦めちゃったんですよね。それでも、大学受験が近づく中で志望校を探していたら一般科目でも受験のできる東北芸術工科大学(以下、芸工大)の建築学科をふと見つけて、仙台の親戚の叔父さんから「芸工大の卒業生には、活躍している人がたくさんいるんだよ」と聞いたことや、デンマーク王立アカデミーとの交換留学制度があることを知って、「この大学に入ってデンマークに行こう!」と考え、入学しました。ちなみにデンマークにリアクションしたのは小学生の頃に親の都合でカナダのバンクーバーで生活していた時期があって、その時に色んな国に連れて行ってもらったことがきっかけで日本と違う文化に興味を持ったんです。特にヨーロッパには行ったことが無かったので、単純に興味本位でした。

 

 

 

 

建築家を本気で目指したきっかけ

 

―芸工大への入学は直感で選ばれたという印象がありますが、大学に入学してからはどんな学生生活を送っていたのですか?

 

正直なところ、勢いで入学してしまったのですが、運がいいことに芸工大には業界の第一線で活躍している良い先生たちがたくさんいて、そんな環境で建築をはじめ、アートやデザイン全般を学べたことはすごくありがたいことでした。特に、大学2年生から始まった住宅の設計がとても楽しかったな。オープンキャンパスの展示に選抜で僕の住宅設計も置いてもらえたことがあって、来客者に対して、元倉眞琴先生というレジェンドみたいな先生が、僕の作品を「僕はこの建築が一番好きなんだよね」なんて言ってくださったのを聞いて、もうその一言に嬉しくなっちゃって。

 

―目の前でそんなことを言われたら、たまらなく嬉しいですね!

 

それをきっかけに「建築家になるぞ!」って。とても単純なのですが、それまで人から褒められることがほとんど無かった人生だったので勘違いでも調子に乗ってしまいましたよね(笑)。そこから課題や課外授業に積極的になり、自分だけじゃなくてみんなと頑張れたらいいなって思って、周りの人たちを巻き込みながら学校内で展示を行なったりとか、とても意欲的になりました。建築学科以外の学生とも関わりながらコンペに挑戦したり、作品や空間、企画、イベントを作ったりととても仲良くしていていただいて、その頃の友達とは今でも付き合いがあったりします。

 

 

デンマーク留学へ

 

―目標とされていたデンマーク王立アカデミーへは、何年生で留学されたんですか?

 

大学4年生で留学しました。当時の学科ではデンマークへ留学していたのは大学院生が多くて、しかも基本定員は1でした。デンマーク王立アカデミーは、日本でいうところの東京芸術大学みたいにとてもレベルの高い学校で、僕みたいなただ調子の良い学生が行ける学校ではないんですけどね。本当にラッキーでした。

 

―相当優秀な学生だったんですね。デンマークでの留学生活はいかがでしたか?

 

デンマークに行ってまだ何も成果が出ていない時は、ただの日本人みたいな扱いをされていて、何とも思われていなかったと思います。それで、みんなともっとコミュニケーション取るにはどうしたらいいかなって考えていた時に、たまたま日本のコンペがあって、そのコンペの模型を学校で作っていたことがあったんです。当時のデンマークの学生は、模型を作ることはあまりなくて、CGや3Dのデジタルで作ることが主流でした。そこで結構リアルな模型を作っていたから、「アイツ何をやっているんだろう?」ってちょっと教室がざわざわし始めて、それがきっかけでみんなから興味を持ってもらえて会話できたことを覚えています。建築って言葉ではないから、モノをちゃんと作ればコミュニケーションが取れるし評価してもらえるんだってことを改めて実感しましたね。

 

それからは、学校の友達とずっと一緒に遊んでいて、夜はみんなの家に行ってご飯食べながらお話ししたり、クラブに行って踊ったり、とにかく楽しかったですね。特に印象に残っているのは、毎月一回金曜日に校内で行なわれるフライデーバー。当時その学校では金曜日にフライデーバーという、学生が学校のキャンパスを自由に使ってイベントできる機会があって、学校をクラブみたいに変えるんです。例えばこの椅子はデンマーク王立アカデミーの学校で使われていた椅子と同じものなんですけど、こんなに良い椅子を乱暴にオブジェ的に積み上げてステージを作ったりとか。やることがとてもダイナミックでそしてそこに自然とコミュニティを作る環境があったことに驚いたのを覚えています。お酒の力も相まって他学科の学生ともたくさんお話しできましたし、このような「場づくり」の大切さを学んだり、そしてそれは与えられるものではなくって自分たちで作るものなんだと実感しました。

 

 


デンマーク王立アカデミーで使われていたものと同じデザインの椅子。川上さんはご自宅で愛用中。
○ボーエ・モーエンセン 「J39 Shaker Chair(シェーカーチェア)」

 

建築は写真で見たり言葉で聞いたりするものでもなく、実際に体感するものなので学校生活以外では現地でたくさん本物に触れようと思って、デンマークはもちろん、留学合間にスウェーデンやフィンランドに行って建築を見て回ったりしていました。帰国前には1ヶ月間ぐらいかけてヨーロッパを1周するバックパッカーをしていました

 

―実際に体感する事で学んでいたんですね。ヨーロッパの建築はいかがでしたか?

 

良くも悪くも多くの学びがありました。ヨーロッパの名建築と言われているところを数々巡ることができました。本やネットで見るよりも素敵な建築に出会えることも出来ましたし、「きっと実物はもっとかっこいいんじゃないか!」なんて期待して行ったのに、実際は建築家の意図しているようにはほとんど使われていなかったり、人が全くいない寂しい風景になっているものもいくつも目の当たりにしたんです。名建築って言われているけど、実際はそうでもないのかもしれないって思い始めて、良い空間って建築だけでは成立しないのかもしれないって思ったんですよね。その建築をどういう風に使うかっていう、使われ方の問題なんだと。結果「建築なんていらないんじゃないかって極端な考え方になって日本に帰ってきてしまいました。

 

―なんと、衝撃です。色々と見て回る中で考えが変わっていったんですね。

 

そうですね、デンマークの留学やヨーロッパ放浪をきっかけに色々と見て感じて、かなり批判的な考えになってしまいました。日本に帰国して、大学4年生の後半で取り組んだ卒業制作では、自分の考えが一向に固めきれずに制作を開始してしまってすごく失敗しました。でも、自分の考えている事が全て間違えている訳ではないと思っていたし、表現の仕方がわからなかったんだと思います。

 

―それから進学された大学院では、どんな研究をなさっていたのですか?現在川上さんが専門とされているリノベーションも、大学院で学ばれたのでしょうか。

 

そうですね。進学後、友人や面白い人達が集まって、山形の七日町にあった廃業旅館を「ミサワクラス」というシェアハウスにリノベーションする活動に取り組みました。それは、学生の力だけでなく「リノベの神様」と言われる馬場正尊先生はじめ、たくさんの大人の方々が全面的に協力下さり実現に至ったんです。

元倉先生の言葉で、「街を生き生きさせるには、そこに人が暮らし、生活しなければならない」という言葉がとても印象に残っていて、その言葉を僕世代の学生達は覚えていたから、シャッター街化する七日町を生き生きとさせるためにはまず自分たち学生が自らそこで生活を始めようという事になりました。当時暮らし始めたのは芸工大の他学科の学生や卒業した先輩、アーティストの方などいろんなジャンルの人が揃っていたので、せっかくだから暮らすだけでなく街中でも活動しようということになり、隣の空ビルを一時的に借りて山形ドキュメンタリー映画祭の時に一時的なドミトリーとしてオープンさせたり、一時的にカフェを運営してみたり、アートギャラリーを作ってみたりと積極的に活動していました。一度役割を終えた建物でも少し手を加えたり、捉え方を変換するだけで空間が新しく生まれ変わり、生き生きとしてくることに感動を覚え、そこからだんだんリノベーションというものに興味が湧いて、ますます足を踏み入れていきました。

そしてリノベーションの活動や研究を通して「良い空間には良いコミュニティが必要だ」ということに気づき、「コミュニティの再構築による空間の創出」という論文を大学院で発表しました。デンマークでの留学の際感じたモヤモヤ感、大学の卒業制作では表現できなかった「良い空間とは?」をここで改めて表現する事が出来ましたと感じていますね。

 

 

 

 

デンマーク留学や大学院での学びを経て、川上さんはどんな2歩目を歩んできたのでしょうか。後編では、社会人になってからのこと、独立して現在に至るまでのことについてお聞きします。(後編へつづく)

 

 

川上 謙(建築家)

神奈川県相模原市生まれ。栃木県宇都宮市育ち。東北芸術工科大学院 環境デザイン領域卒業後に宮城県仙台市に在住。設計工務店に勤め、数々の住宅や店舗等の設計施工に携わる。2015LIFE RECORD ARCHITECTS 設立。

 

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