Vol.2 山本 潤美さん(日々ノ道具 奥田金物)/前編

2021.09.03

一歩目二歩目

読みもの

『1歩目、2歩目の足跡』

 

さまざまな分野で活躍している大人たち。きっと一直線にまっすぐに、歩いて来た人ばかりではないはず。どうしてこの道に足を踏み入れたのか。どんな道のりを歩いて来たのか。これまでどんなきっかけや、出会いがあったのか。ふだんは中々聞けない、そんな「1歩目」「2歩目」のお話を聞いてみる企画です。

 

 

 

 

Vol.2 山本 潤美さん(日々ノ道具 奥田金物)/前編

 

山本潤美さんは、創業1844年(弘化元年/法人設立昭和26年)、仙台では老舗の主に調理道具などを扱う「奥田金物本店」の直営店「日々ノ道具 奥田金物」を運営されています。山本さんのお父さまは奥田金物本店の社長、つまり奥田家の娘として生まれた山本さん。幼い頃から家業を継ぐ意志があったのか、それとも別の道へ進みたかったのか。3人の息子さんを持つ母としても忙しい日々を送っている山本さんは、これまでどんな道を歩み、「日々ノ道具 奥田金物」をオープンさせたのか。山本さんの「1歩目」「2歩目」について、お話を聞いてみます。前編では、自由を謳歌した学生時代、社会人になって就いた仕事、子育てと仕事の葛藤、転機について。

 

 

自由を謳歌した学生時代

 

―山本さん、本日はよろしくお願いします。山本さんのご実家が「奥田金物本店」とのことで、山本さんご自身も専務取締役としてお仕事をされているんですよね。家業を継がれたのは、社会人になったときですか。それとも他のお仕事も経験されたのでしょうか。

 

大学卒業後、一度地元の銀行に就職しました。4〜5年働いて退職し、その後この奥田金物本店に入ったんです。私は三姉妹の長女だったので幼い頃から「お前が家を継げ」みたいなプレッシャーがあったし、実際にそう言われてました。学生時代には「私には職業選択の自由がないんだ」ということを感じていましたね。私はそれがとても嫌で嫌で(笑)。

 

―そうだったんですね。

 

本当は東京の大学へ行って就職して、早く家を出たかった。父への反抗心からかな(笑)。それでも地元仙台の大学に入って、仙台の銀行に内定をもらって就職し、結局ずっと仙台にいた。東京の企業からもいくつか内定をもらったのに、行かなかった。東京へ行きたかったとはいえ、それを実行に移さなかったのは自分自身の判断なのでしょうがないんですけどね。

 

 

 

 

―就職した銀行を、なぜ退職することにしたのですか。

 

銀行はお金という大切なものを扱うため、全てが決まりにのっとった仕事でした。やりがいはあったのですが、窮屈だなとも思ったんです。というのも、出身高校が宮一(宮城第一高校)で校則もなく、校是「自主自立」のとおり、何もかもが自主的で、自分の力で学び、遊び、自分の判断で行動し、何かあれば自己責任という感性がとても自分に合っていました。一方、銀行では決まりにのっとった仕事だけが目の前にあり、それは自分の質(タチ)とちょっと違うかな、と思い。それと、社長(父)に「そろそろ会社に入らないか」と暗黙のプレッシャーをかけられ(笑)。

 

―確かに、自由な学生時代からの銀行員はギャップがすごいですね。ちなみに、学生時代はどんな生活を送っていましたか。

 

真面目な勉強一筋の学生ではなかったです。高校時代は、学校を抜け出して映画を観に行ったり、授業をさぼって部室で寝たりもしていました。自分の机と椅子をベランダに移動して、そもそもの存在を消して居ないことがバレないように工夫して(笑)。

 

―徹底してますね!(笑)

 

あとは、通学は循環バスだったんです。だから朝、行ってきます!ってバスに乗るんですが学校の前で降りずに、循環しちゃってそのまま街中に戻ってきたり(笑)。制服じゃなかったから、街中を平日の昼間に歩いていても目立たなかったんです。当時あった名画座に1日中いることもしばしば。そして放課後のタイミングで部活のため体育館に戻る。こんなこと、息子たちには言えないですね(笑)。

 

 

 

 

日焼け真っ黒で入社

 

―銀行を退職した後、家業である「奥田金物本店」に入社したとのことですが、スムーズに馴染めましたか?

 

ものすごいアウトローでした。当時、スキーやボディボードが好きだったんです。それで、銀行をやめてまた働き始めるまでの4ヶ月くらい、安比にこもって雪上生活をしていて。だから会社(奥田金物本店)に入った時には日焼けで真っ黒(笑)。ちょっとそれどうなの?!って怒られました。こんなやつに仕事教えたくない、仕事できないだろうって、煙たがれていたと思います。それでも実績を作れば何も言われないだろうと、文句の言われない仕事をやろうと思っていました。

 

―そこでしょげたりしないところ…かっこいいです。

 

会社のTHE・昭和なおじさんばかりの中で働くのは、やりづらいなと感じることや、意見が合わないと感じることもあったんですが、私が他の社員と違う視点を持っていることは会社にとってはメリットだったと思うんです。過去の成功体験がこれからの成功にはつながらない、と感じていたので、あらゆる場面でこれまでと同じ選択をしないことによって、フレッシュなことができたと思います。まあ、生意気だと思われていたとは思うんですけど(笑)。

 

 

子育てと仕事の葛藤

 

―その後、結婚し3人の息子さんを育てながらお仕事を続けられているとお聞きしました。子育てと仕事の両立は、決して簡単なことではなかったと思います。

 

3人とも産後2ヶ月で保育園に入園し私は職場復帰したのですが、長男は体が弱かったので会社にベビーベッドを置いてしばらく一緒に出勤していた時期もありました。三男は3歳の頃に「ギラン・バレー症候群」という難病を患い、2ヶ月ほど寝たきりで仕事がままならない時期もあったんです。

 

そういった中でも頑張って仕事と育児と家事を続けていましたが、私が幼い頃から知ってる女性の先輩で、日本と海外を行ったり来たりと颯爽と仕事をしている方がいたんです。もちろんの彼女の高い能力あってこそなんですが、彼女は独身だったので、当時は「そっか、独身で仕事に集中できるとこんなに大きな仕事をしたり、バリバリこなせるのか…」と、ただただ輝いて見えてしまって。私も仕事しているのに中途半端な感じがして、もやもやと葛藤している時期がありました。

 

 

 

 

―そんな葛藤を抱えられていた山本さんですが、泉中央にあるセルバテラス内に「日々ノ道具 奥田金物」という直営店を出店されました。これまでにないコンセプトで、よりよい調理道具を取り揃えたお店なんですよね。どんなきっかけがあって、出店に結びついたのでしょうか。

 

ある時、中学時代の同級生と会話する機会があって、そんな仕事の葛藤を話したら「でも、強みを持っているよ」と言ってもらったんです。これまでそんなこと意識してこなかったから、自分ではピンと来なかったんですけど。その言葉に会社の強み、そして私の強みを気づかされたことが転機となり、「日々ノ道具 奥田金物」の出店に向けて動き出すことができたんです。

 

 

同級生との会話の中から、気づいた強みとは。後編では、新店舗オープンのきっかけ、実店舗の運営で大切にしていること、その楽しさについてお聞きします。(後編へつづく)

 

 

山本 潤美(日々ノ道具 奥田金物)

1967年仙台市生まれ。県内の大学を経て銀行に就職後、家業に就く。株式会社奥田金物本店金物では、営業職を経て店舗開発に携わる。2016年にセルバテラスに「日々ノ道具奥田金物」を開業。息子三人を育てながら仕事を続けるにあたり、子どもたちとゆっくりと一緒に過ごす時間は少ないが、「食事は子どもとの繋がり」と思い毎日朝晩、台所に立つ日々。

 

日々ノ道具 奥田金物

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記事を書いた人

伊藤 優果

SURUCCHAスタッフ・ライター

宮城県仙台市生まれ。大学生の頃にウェブマガジンの取材記事を執筆し、ことばを形にして人へ伝える喜びを知る。卒業後は地元の印刷会社に就職し、営業職を経験。紙や印刷技術が持つ無限の可能性に魅せられ、印刷はひとつの表現方法であると考えるようになる。現在はブライトにて、シルクスクリーン印刷所「SURUCCHA」のスタッフや、ライターとして勤務。心がけていることは「一刷入魂」。

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