Vol.3 小西 康博さん(畳職人)/前編

2021.10.01

一歩目二歩目

読みもの

『1歩目、2歩目の足跡』

 

さまざまな分野で活躍している大人たち。きっと一直線にまっすぐに、歩いて来た人ばかりではないはず。どうしてこの道に足を踏み入れたのか。どんな道のりを歩いて来たのか。これまでどんなきっかけや、出会いがあったのか。ふだんは中々聞けない、そんな「1歩目」「2歩目」のお話を聞いてみる企画です。

 

 

 

 

Vol.3 小西 康博さん(畳職人)/前編

 

小西さんは、仙台市内で家業の小西畳工店を継ぎ、本物の畳の良さを伝えたいという想いで畳職人という道を歩んでいます。そんな小西さんは畳職人になるまで、どんな道を歩いてきたのでしょうか。その道には、これまでどんなきっかけや、出会いがあったのでしょうか。そんな畳職人としての「1歩目」「2歩目」について、前編では幼少期のお話から畳職人に至るまでのお話を伺いました。

 

 

野球に明け暮れていた少年時代

 

―現在の畳職人に至るまでにどんなきっかけや転機がいまにつながっているのか、聞かせてください。まずは幼少期のことから。小西さんはどんな幼少時代を過ごされていましたか

 

仙台市宮城野区鶴ケ谷出身で、4人兄弟の長男として生まれて、幼い頃は友人たちと自転車でレースをして遊びまわるような子どもでした。当時の性格は恥ずかしがり屋な面もありましたが、学芸会では主役を演じることも多く、アクティブな面もありましたね(笑)。幼稚園から小学校5年生まではエレクトーンもやっていました。

 

―エレクトーンは意外ですね!小5まで長く続けたエレクトーンを辞めたきっかけは何だったのですか?

 

少年野球に興味を持ったのがきっかけです。野球はそのまま高校まで続けました。現在の小西畳工店がある泉区には、自宅兼父の畳の工場を作る目的で、中学2年の終わり頃に引っ越しをしたのですが、どうしても今まで通っていた中学校で部活を続けたく、自分だけ鶴ケ谷の中学校まで通学していました。

 

少年野球時代のコーチがちょっと変わっていて「カブトムシをあげるから入部しろ」とか言うんです。ただ、野球の”楽しさ”の部分を大切に指導してくださる方だったので、どんどん野球の面白さにはまっていきました。中学校時代は県大会出場まで進めたことがその後も野球を続けたいと思うきっかけにつながり、高校入学前に覚悟を決めて丸坊主になりました(笑)。

 

 

 

 

―野球をやっていてよかったなぁ、と思うところはありますか。

 

高校時代の野球部生活は楽しさだけではなくハードな部分もありました。今までやってきた野球は浅かったんだなと。そんな中、高校時代はキャプテンを任せてもらうと同時にキャッチャーのポジションに回ることになり、視野を広げて全体をみること、常に周りのことを考えて動かなければいけないという大切さを学びました。もちろん難しいところもたくさんありましたが、この体験を通して野球をより深く知ることもできましたし、現在にも活かされ、役立っていると思います。

 

―野球を続けてきたことは楽しさだけでなく、厳しさも含めて人生のあらゆる面でも役立つ大切な体験になったんですね。

 

そうですね。やりもしないで断るのがすごく嫌なので、まずなんでもやってみよう、やってみてダメだったら軌道修正しよう、というスタイルです。部活も正直辛いこともたくさんありましたが、それを乗り越えて頑張ることができたことはプラスに捉えていますし、チームメイトともすごくいい時間を過ごすことができたと思っています。

 

 

野球をやり遂げ、考え始めた将来への道

 

―中学卒業後は高校へ進学。その頃から家業を継ぐというイメージはあったのでしょうか。

 

当時は畳屋を継ぐ、という意識はありませんでしたね。親父の姿を見てきて、畳屋という仕事はゴミまみれになって汚れるというイメージだったので、まったくやりたいとは思っていなくて、むしろスーツを着て仕事に行く会社員に憧れていました(笑)。

 

―そこから家業を継ぐまでにはどんな経緯が?

 

高校3年まで続けた野球生活も終わり、さぁ何をしようか、と思ったときになんとなくラーメン屋のバイトの面接に行ったんです。そこでラーメン屋の店主に「ここで働くより、実家の手伝いした方がいいんじゃない?」と門前払いを受け、そりゃそうだよなぁと(笑)。

 

 

 

 

回り道をせず家業を継ぐ決心

 

―畳屋を継ぐとご両親に話された時の反応はどうでしたか?

 

両親たちもまったく想像していなかったようで驚かれましたね。高校までは野球をずっとさせてもらっていて、家の仕事の手伝いなんてしていなかったですし、親父からも手伝いをお願いされたり、家業を継いでほしいという話をされたこともなかったので。

 

―そうだったんですね。畳屋はお父さまが初代でしたよね。お父さまが畳職人を始めるきっかけというのは何だったんでしょうか。

 

親父は元々日本料理の職に就いていました。ただ、結婚するなら「手に職をつけた方がいい」と考えるようになり、畳職人を始めたようです。

 

―飲食業から畳職人への転身は興味深いですね!畳屋というと代々家業を継いで、というイメージでしたが、それだけではないのですね。

 

そうですね、親父は当時出入りしていた現場の師匠から人手が足りないから「やれ!」と言われて畳の道へ進んだようです。

 

―流れに身を委ねるまま…ですね(笑)。抵抗することなく、すんなりと受け入れてまずやってみよう、という姿勢が、お父様だけでなく小西さん自身にも受け継がれていて、自然な流れで畳職人への道へ導かれているように感じます。

 

当時は就職氷河期だったこともあり、就職が厳しい時代でこの時代に生きていくには手に職をつけた方がいいのでは、ということも考えるようになりました。長男だったこともあり、いずれは家業を継ぐことになるであろう、ということも意識し始めると、それなら回り道せずにストレートに家業を継ごう、という決心に変化していきました。

 

 

当初は畳の道に進むことなど全く考えていなかった小西さんですが、ごく自然な流れで家業である畳職人の道へと進んでいきました。高校を卒業して、畳職人として歩み始める小西さんですが、後編では仕事をしていく中でどんな出会いやきっかけがあり、どんな風に畳仕事と向き合い、現在に至るのかをお聞きします。(後編へつづく)

 

 

小西康博(畳職人/1級畳製作技能士)

宮城県仙台市生まれ。宮城県泉松陵高等学校卒業後、家業である有限会社コニシ 小西畳工店に入社。第25回東北畳工技能競技大会に出場し、一級の部・第2位になる。この大会をきっかけに、さらに畳の奥深さや手仕事の面白さを知る。2016年から高等職業訓練校畳科の講師を拝命し、若手技能士の育成も担う。また、【仙臺流 疊 草山会】の仲間ともに、親方から教え伝えられてきた技能・技術と心意気を継承。畳製作手縫い実演を通して畳の良さを発信。好きなコトは野球、サッカー観戦、音楽。

 

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記事を書いた人

渡辺 沙百理

ライター ・ イベントプランナー

宮城県大崎市生まれ。東北芸術工科大学生産デザイン学科卒業後、仙台市内のインテリアやアパレルショップを展開する会社に入社。13年間店長職や本部職に携わり、店舗運営や企画、国内外の仕入れを担当。 2016年に退職した後、知人が運営するコミュニティスペースでのイベントに魅了され、翌年からイベント企画をスタート。2017年よりブライトに勤務。CAFE mugiのスタッフの他、「イチとニ市」や「1が2になる学校」などの企画を担当。同時期にフリーランスでイベント企画業、「PLANNING LABORATORY」を開業。ワクワクする気持ちを忘れずに、ヒトやモノ・コトを繋ぐ場づくりが好き。2足のわらじとして様々な場所に出没中。

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